なんで砂月のこと放っておいたんだよ。そう詰め寄った俺に那月はきっぱりと言った。違います。 「さっちゃんが、僕を見なくなったんです」 「まさか」 砂月はあんなに、あんなに寂しそうで、ひとりぼっちだったのに。 「僕じゃなくて、さっちゃんが、プランツなんです」 正しくは見えなくなったのだと言う。 そんなこと信じられない。わけが分からない。そう言いたかったけれど那月の表情や声から、決して砂月を傷つけるつもりなんかないってことが伝わってきた。だから悔しいけれど俺は何も言えなかった。 synesthesia doll.(2) さっちゃんは僕の七歳の誕生日に買ってもらったプランツでした。僕たちは本当にそっくりで、まるで双児のようだと言われていました。 小さな僕は弱くて、とても一人では抱えられないくらい悲しいことがあって、さっちゃんはそれを引き受けるみたいにして僕の代わりにいつも怒ってくれていたんです。 初めて目覚めた時、瞳を開いて僕を見て微笑んだあの一度と、僕と二人でいる時以外、さっちゃんは笑わなくなりました。 そしてさっちゃんは不思議なプランツなんです。普通のプランツはにっこり微笑み、砂糖菓子を口にする以外に自分であまり動いたりお話したりしないそうなんです。でもさっちゃんは僕よりも表情豊かで、僕よりも僕のことを悲しんでくれる、怒ってくれたんです。 だから僕はさっちゃんに甘えていました。さっちゃんのお陰で何も知らないみたいに、笑っていたんです。それこそ、人形みたいに。 双児のようだった僕らを見分けることが出来るのは、この眼鏡と表情以外にありませんでした。 だけど僕は大人になる。なのにさっちゃんは人形のまま。僕の代わりになれない自分を、大人になる僕を、見られなくなったんです。 「だから、見えなくなって、さっちゃんの世界から全部が消えたんです。さっちゃんは僕を守るためにいるって思っているから。そんなこと、ないのに」 確かに那月はまるで砂月がそのまま大人になったように、顔も声も同じだった。その声は静かで、だけど誠実だった。せつなげに砂月を見るのは砂月と同じ、優しい色の瞳だった。 那月は膝を折って砂月と視線を合わせる。とうに砂月の背を越して伸びてしまったその長身が見ているしか出来ない俺には辛かった。双児のようだったはずなのに。 同じ声で囁く声は、砂月に守られるだけだった小さな那月の弱さまで包んで響く。ねぇ、さっちゃん。 「もう、いいんです」 呆けたように立ち尽くしてただ俺の手を握る砂月は小さく、確認するように呟いた。 「俺のほうが、人形だった」 嘘だと思った。すとんと表情をなくしてしまっても、完璧なその輪郭も鼻も唇も瞳も小さな掌も、どんなに造り物めいていたって。 「嘘だよ。だって砂月はこんなに優しくて、こんなに」 だから。言葉を遮って那月が今度は俺を真っ直ぐに見た。 「今度はさっちゃんに幸せになってほしいんです」 「だから相談しに行ったんだ?」 「はい」 そうして那月が頷いた時、ふと砂月が俺の手を離して那月を見上げた。 「守る為にいたのに」 見えなくなって、見なくて、ごめん。 * * * 「良かった。お前が幸せになれるなら、もう俺がいらなくなったなら」 「いらなくなったんじゃないです。さっちゃんも幸せにならなきゃ」 今までどんなに苦しそうでも、どんなに泣き出しそうな表情をしても絶対に泣くことのなかった砂月の瞳から涙が零れた。 「俺はいいんだ。ありがとな、那月」 ゆっくりと膨れて落ちた透明な雫が完璧な球体になって、かつん、と音を立てて床に落ちる。砂月自身も驚いたようで、転がるその球を潤んだ瞳が追っていた。 「天国の涙だよ」 「愛されたプランツからしか採れない、貴重な品だ。愛して、愛されて、そうして零す純粋な宝物だ」 「愛されてた…俺は那月を守る為にいたのに。愛されちゃだめだってずっと」 散らばった天国の涙が光を反射して、首を傾げた砂月の頬にきらめいていた。 「良いんだよ。愛されているというだけで」 「だからプランツは生きているのだ」 奇跡なんだと微笑んだ二人の店主の言葉は、優しくて哀しい声音だった。とても慈しんでいるような声だった。 「お名前を聞いても良いですか?」 そう言われて気づいた。あんまりびっくりしすぎて、俺はまだ那月に名乗ってすらいなかったのだ。 「一十木、音也」 「音也くん。ありがとうございます」 「え、なんで?」 「僕はもちろんさっちゃんのことを愛しています。だけどきっと、さっちゃんのために怒ってくれる初めての人だから」 「俺は、那月が嫌な人間なら良かった。そしたら俺は砂月を勝手に連れて行けたのに」 「音也くんはそんな人じゃありませんよ」 「それに、イッキがいなければ多分、枯れてたよ」 「確かに。四ノ宮を探したいという願いだけでは、じきにな」 きみで良かった。そう言って笑うから、すっかり俺は困ってしまった。 「おとや」 それまで黙って自分の掌に乗せた天国の涙を見ていた砂月が不意に呼ぶから、俺は膝をついて砂月と向かい合う。 「なに?」 天国の涙を一粒、俺の掌に乗せて砂月は微笑んだ。 「持ってろ。いや持っていてくれ」 「ねぇ、どうしてもうおしまいみたいに言うのさ」 名前だってさっき初めて呼んでくれたのに、どうしてお礼みたいに、お別れみたいに笑うの。 「もう充分だ。俺は認めなきゃいけなかった。那月が大人になること、大人になれること。幸せになれることを。俺は人形のくせに那月を守れたし、こんな涙が出来るほど俺は愛されていたんだ。それで良い」 満たされたみたいに笑うから、俺はいやだよって呟いた。幸せにならなきゃいけないんでしょ。 砂月の瞳が小さく揺れて、止まったはずの涙がまたぽろぽろと零れ始めてしまう。それが全部綺麗な宝石に変わるから、もう俺の手では受け止めきれなくなる。 「砂月の涙は、蜂蜜みたいな髪に似た薄い金だね」 「冷たい月で舞い上がる砂の色だ」 「ちっとも冷たくない。綺麗だよ」 床で跳ねる涙が星みたいにきらめいて、あんまり綺麗だからとうとう俺は泣き出してしまう。俺が、幸せにするから。 お願いだから、幸せに、なろうよ。 ▲ (111231)
|