「出来心の檻」の続き。

 トキヤはほしがらない子供だった。
 二親が揃って健在で、充分な愛情をかけて育てられて、経済的にも恐らくは恵まれているほうで、トキヤ自身もそれに見合った我が儘しか言わなかった。トキヤは手の掛からない良い子だった。ほしい物は買い与えてもらえる程度の物をほしがった。
 別段トキヤが特別な子供だったわけではない。大人の言葉にすれば打算的な計算だがそれはある意味では子供らしさだった。どこまでの線引きをすれば許されるのか、どこまでならば与えてもらえるのかを子供ながらに察して、怒られないよう、嫌われないように立ち回る、子供らしさだ。トキヤは少しだけ他の子供達よりも上手く、そして少しだけ早く落ち着いた物の考え方をするように育っただけだった。
 けれど、だからこそ、トキヤは知らなかった。
 愛されたいと言う前に、愛してほしいと請う前に愛されていたから、願い方を知らなかった。
 ただトキヤは、焦がれるような想いの名前を知らなかった。




鎖の国の王様




「いただきます」
 普段通りに両の掌を合わせ、小さく頭を下げて音也は言った。しかし、いつものようには笑わない。いつものような元気はない。いつものようにその日一日あった出来事を話さない。代わりに音也が動く度に手足の枷に繋がる鎖が音を立てた。
「三日目です」
「三日目だね」
 ベッドに置かれたトレイの上にはオムライスが乗っていた。
 トキヤが衝動的に手酷く犯したあの日から三日。音也はこのマンションから外に出ていない。
 伸ばした鎖が届く範囲の中では自由だった。この部屋の全てが音也には与えられ、鎖の長さの分だけ自由だった。しかし、同じくトキヤから与えられたバスローブ一枚だけでは心許なく、動き回る必要もなかったし、裸足で床を歩くのは冷たくて、音也はそれが嫌だったから基本的にはベッドの上にいた。

 音也の要望にトキヤは応え続けた。
 お腹が空いたよ。そう言えばトキヤは黙ってキッチンに立った。
 トーストしたパンにマーガリンと苺ジャム、フルーツサラダ。オレンジジュースにアップルジュース、ココアにサイダー。ミルクたっぷりのカフェオレ。カレーにラーメンにオムライス。ビーフシチューにスパゲティ。全てトキヤが用意した。全て音也の好物だった。
 お風呂に入りたい。そう言えばトキヤは音也をバスルームへと連れて行った。
 トイレに行きたい。そう言えば勿論それをトキヤは叶えた。
 寒いと言えば空調を調節した。
 眠いと言えば照明を落とし布団を掛けた。
 どんな要望も、常ならば呆れた表情で我慢しなさいと頭を軽く叩くような我が儘でも、トキヤは従者のように黙々と叶え続けた。
 だけど決して鎖を切ることはなかった。
 もう帰りたい。その願いだけは黙殺された。
 音也はまるで自分がベッドの上と、鎖の範囲だけの国の王様にされたみたいだと思ったけれど言わなかった。

 端からオムライスを崩して口に収めていく音也を見ながらトキヤは思う。どこから間違ったのだろう。
 けれど、既に後戻りは出来ない。もう戻れないくせに、なかったことになど出来ないくせに、それでもまだ音也には、善良なだけの無垢なるただの同室者で、自分が惹かれたそのままの、一十木音也であってほしかった。
 今の状況以上に手段を選ばなければ自分の意のままに出来るのだろうかと夢想する。たとえば恐怖、たとえば痛み、たとえば快楽、たとえば。しかしトキヤは音也を壊してしまうことが怖かった。関係性は決定的に壊してしまったから、これ以上、一十木音也を失うのは怖かった。
「明日で四日。翔とのサッカーの約束も、すっぽかすことになった」
「連絡は、しておきました」
「誤魔化した、の間違いでしょ」
 ごちそうさま。最初と同じく掌を合わせて頭を下げた音也はトレイに手を伸ばしたトキヤを見据えて言う。ねぇ、もう何回も同じこと聞いてる俺のこと馬鹿にするかもしれないけど聞くよ。
「なんでこんなことするの?」
「言ったはずです」
「ワタシノモノニ、ナッテクダサイ?」
「そうです」
 一番最初に言われた言葉を復唱した音也にトキヤは首肯した。
「これが全部俺のことが好きだからで、こんなことしちゃうくらいだって言われても」
 音也は首を振る。いやだよ。
「俺はモノじゃないとかそういうことじゃなく、俺は嫌だ。トキヤのことをそんな風には好きになれない。ならない」

 一度目、散々泣き喚いたあの日以来、音也は泣かなかった。
 トキヤが思うよりも、願うよりも、音也は強かった。皮肉なまでにトキヤが理想とする通り、音也は強かった。
 多分どんなに傷つけても、どれだけ長く拘束しても、どんな風に甘やかしても、懇願しても、音也はほだされない。ほだされないのがトキヤの好きな音也だから。希望なんてない。
 トキヤは思う。どこから間違ったのだろう、なんて馬鹿な考えだ。最初から間違っていた。こんなことをしようがしまいが音也は手は入らない。
 そんな風には好きにならない。そう言ったあの目の強さこそが自分の焦がれる一十木音也なのだから、どうやったって上手くいかなかったのだ。

 許されないことも叶わないことも救われないことも知っている。だけど、トキヤはずっと、手に入る物しかほしがってこなかったから、諦め方も知らなくて、ただ苦しかった。





(111219)