光が蚊帳の向こうで舞っていて、蛍だと翔は思った。何年か前、もっと小さい頃にはなにを見ても珍しくて騒いだものだったけれど、今年はちらりと一瞥するだけだった。腹に乗せたタオルケットの位置を直して瞳を閉じる。 手術をしたから、空気の良い祖父母の家で静養するべきだ。そう父が決めた。そのせいで翔はこの三ヶ月、暇を持て余すことになった。 優しい祖父母のことは好きだったけれど、翔にとってこの田舎町はつまらなかった。 近くにコンビニがない。近所に友人もいない。手術したばかりだろうと特に祖母が心配するので一人で遊びに出掛けるのもアウト。 だから翔はとにかくつまらなかった。 かみさまのいうとおり その少年と初めて出会ったのは翔が暇を持て余した結果一人でサッカーボールを蹴り始めた頃だった。 壁に向かってボールを蹴ると怒られてしまうから、ひたすらリフティングの回数を一人で数えていた。 「ねぇねぇ、いっしょにやってもいーい?」 不意にかけられた声に振り向いて見れば橙の髪をした少年が手を後ろに組んで、笑っていた。 「二人でもつまらなくないなら」 サッカーってほんとは十一人いるんだぜ。呟くように返した翔に少年は首を振る。 「つまんなくないよ! 俺、キミと遊びたい!」 「じゃあ別にいいけど」 そんな風に知らない子供が入ってくるはずのない庭だった。隣に民家はないし、庭から続く裏はずっと先まで山で、玄関から祖母がいるはずの台所を通らずに入ってこられるはずがなかった。それに近所には誰も、自分と同じ年の頃の子供がいないことは知っていたのに、翔はすんなり受け入れた。 じゃあとりあえず二人でパス回しな。翔がそう言えば少年は頷いてぴょんぴょん飛び跳ねる。橙の髪がまるで耳のように房になって一緒に跳ねていた。 「今はこれ、“さっかー”って言うんだね。俺やったことあるよ、蹴鞠でしょ?」 「けまり?」 「うん、ずっと昔にやったよ? でもこの鞠は地味だねぇ。白と黒だし、模様もないし」 「鞠って」 「でもすっごい跳ねる。すっごい!」 「鞠じゃねぇよ。サッカーボールだ」 「そっかぁ、今は“さっかーぼーる”って言うのか」 よし覚えたよ。すっごい跳ねるサッカーボール、好きだな。サッカーもキミも好きだな。そう言って笑うから翔だと言った。 「しょう?」 「名前。キミじゃねぇ。翔だ」 「翔! 俺はね、音也。一十木音也! よろしくね!」 それが始まりだった。音也と二人でサッカーボールを蹴り合う。ただそれだけだったけれど、翔はやっと退屈なばかりだった田舎暮らしを楽しめるようになった。 そんな音也が突然、自分は人間じゃないなんて言い出した時にも、翔は別段驚かなかった。 「そもそもお前さ、たまに尻尾みたいなの出てたぜ」 誰もこられないはずの庭に勝手に入り込んできて、それから時たまおかしなことを言う。サッカーのことを知らないで蹴鞠だとか、やったことがあるだとか。 元々不思議なことばかりだったし、尻尾どころか、頭の上で橙の髪が耳のように、ではなく本当の耳になってしまっているのだって翔は見たことがあった。 「ええーっ、どうしよう。またマサに怒られちゃうよ」 「じゃあ俺にバラしちゃうのもアウトなんじゃねぇの?」 「それはダイジョーブ! だって翔は友達だから!」 理由になってないだろうと思ったけれど、それは翔は口に出さなかった。 狗なんだと音也は言った。 「狛狗だよ。神社の入り口とかで見たことない?」 「二つ向かい合ってるやつか」 「そうそう。あれね、俺」 俺と言われても今の音也は人間の姿をしているから翔にはいまいち実感が湧かない。 「じゃあお前は狗で、人間じゃなくて、それから蹴鞠やったことがあるってのは、平安時代とかにってことなのか」 「うん、千年くらい前?」 「じゃあお前って千年以上生きてるのか」 とんでもない存在じゃないかと翔は目を見張る。歴史の生き証人じゃないか、と考えたところで人じゃないのかと思い直す。 「でもね、生きてはいるけど、千年間のことずーっと知ってるわけじゃないよ。寝てたもん」 「は?」 「だからさ、人間も起きて、目開けて見てないと周りのことわかんないでしょ? 蹴鞠して遊んでた頃の俺からちょっと間が開いて、そのまんま今に飛んできた感じ。わかる?」 「なんとなく……いいや、いまいちわかんねぇけど。だってお前の言うちょっとって千年ってことだろ。長すぎるわ。まぁでも、つまり浦島太郎みたいなもんか」 「その太郎さんのことは知らないけど多分そんな感じ」 えへへと笑ったその拍子に音也の頭から耳が飛び出して、確かに千年もこんな迂闊なやつが人間に化けてうろうろしていたらもっと早くにバレていただろうなと翔は思った。 ▲ (121020)
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