ぼやけた目を擦りながら音也は身体を起こした。冷たい床に寝ていたせいで肩胛骨が少しだけ痛かった。薄闇に慣れ始めた瞳が周囲を映す。鮮やかな色紙が部屋中を飾っていて、テーブルには料理だけが各々の腹に収められた後の綺麗な皿が並んでいて、ああそうだ、パーティーだったんだと思い出す。
 音也の部屋で、音也が主催になって、翔と那月の誕生日パーティーをしていた。
 四月の俺の誕生日には翔と那月がパーティーを開いてくれたから、今度は俺が。そう言ってトキヤと真斗とレンに協力してもらったのだ。
 料理はトキヤと真斗が作ってくれた。ケーキにはたくさん、いろんなフルーツが載ってるのがいい。音也が要望したのはそれだけだったけれど、二人はずっと豪華な料理とケーキを作ってくれた。
 しかもピヨちゃんまでマジパンで作っちゃうのはさすがマサだよねと音也は思い出して笑ってしまう。
 二人がキッチンで作業をしている間に音也はレンと共に飲み物の調達と、部屋の飾り付けを担当していた。
 色紙を切って、輪にして繋げ、壁飾りにする。子供っぽいと笑われるかもしれないけど、施設でいつもやってたんだ。だから手伝ってくれると嬉しい。そう言った音也にレンは感極まったように一度目頭をおさえた後、この俺にまかせて正解だねとウィンクをした。レンのファンの女の子たちのうち何人かは失神してしまうかもしれない、大人気アイドルのとっておきの表情。その割にレンが作った飾りはあんまり不器用で不格好なものだったからそのアンバランスさがまたおかしかった。
 ―――みんなで一生懸命準備して、はしゃぎ疲れて全員がそのまま床で寝ちゃうくらい馬鹿みたいに大騒ぎして、楽しかったなぁ。




What a sweet dream




 真斗は金縛りにでもあっているかのような表情で眉間にしわを寄せて、それでも眠っている。おそらく原因は真斗の足にしがみつくようにして眠るレンのせいだろう。
 翔は那月から贈られた大きなくまのぬいぐるみの下敷きになっていた。確か音也の記憶にある時点では翔はぬいぐるみを普通に抱き締めていたはずだった。那月の懇願によってぬいぐるみと共にひたすらに写真を撮られ続けていた翔がそのまま怒るのにも疲れて眠ってしまったのだった。
 その那月のカメラはと見渡せばきちんとテーブルの上に置かれていて、音也は安堵する。うっかり踏んづけたりしないようにきっとトキヤが置いてくれたんだね。
 トキヤだけは翌日も仕事の予定だったから、もう出掛けてしまったのだろう。おかしな体勢でも一応は全員にタオルケットをかけて行く、その律儀さが彼らしかった。
 カメラはテーブルの上にあったけれど、持ち主である那月の足はキッチンから伸びていた。ああそうだ、と音也は思い出す。ぼくがデザート作っちゃいますよぉ、そう言い出した那月を全員で止めて、それでも寝ぼけて那月はキッチンに行こうとして、そこで力尽きたんだった。
 翔の双子の弟の薫にも電話でおめでとうを言った。研修でアメリカにいるからと残念そうだったから、来年は彼も一緒にパーティが出来たらいいなと音也は思った。
 ―――ほんとのほんとに、楽しかったなぁ。だけど。
 だけど。そう思ってしまったから、音也は眠る那月の眼鏡に手を伸ばした。細いフレームは見た目よりも強く、激しいレッスンやダンスにも負けない。毎朝の日課のように目覚めた那月に慌てた翔が少しくらい乱暴にかけてやっても曲がったりしない。それを分かってはいても、繊細なフレームを手にする時にはいつもほんの少しだけ、指先が震えてしまう。
 とんとん、と軽く那月の肩を音也は叩いた。
 那月の睫毛が小さく揺れる。怒ったように表情がしかめられて、それからゆっくりと瞳が開かれる。
「なんだよ?」
 常の那月とは違う鋭い眼光に射抜かれて音也は、さつき、と呟くように名を呼んだ。
「ごめんね、勝手に呼んで」
 那月の理由でも、砂月の意思でもなく、彼を呼んだことを謝って音也は微笑んだ。困ったようなその笑い方が似合わないし気に入らないと砂月は身体を起こしながら思った。
「だから、なんだよ? 何か用か?」
「あ、あのね、今日、じゃなくて日付変わったから昨日、誕生日パーティーをしてたんだ」
 知ってる。砂月はぶっきらぼうに答えた。那月も楽しそうだったから良かったじゃねぇか。
「どうせチビんとこのもう一人がショウチャンショウチャンって電話かけてきただろ、毎年だからな」
「うん、それはその通りなんだけど、あの、あのね」
 眠る他の三人と砂月の中にいる那月のことも起こしてしまわないように小さな声で二人は話す。
「だからなんだよ?」
「俺、砂月の誕生日もお祝いしたいんだ」
「は?」
「だって、翔と那月は偶然誕生日が一緒で、翔と薫くんは双子だから誕生日が一緒で、パーティーして、すっごい楽しかったけど、でも砂月は? 那月と砂月は双子じゃないけど双子みたいなのに、そう思ったら俺、俺は」
「このカスっ! ちょっと声のボリューム下げろ」
「ご、ごめん……」
 砂月に口をおさえられてもごもごと謝った音也の眦に浮かんだ涙を見てしまって砂月は後悔する。それから少しだけ笑う。音也は本当に馬鹿だ。
「ねぇよ」
「え?」
「俺に誕生日なんてねぇんだよ。六月九日は、それは那月のだ。もし、俺に誕生日なんてものがあるのなら、きっとあの日だ。ひどく傷ついた那月の世界が一度終わってしまった日だ」
 だから、なくていい。そう言って砂月は口端を上げてみせたけれど音也は首を振った。
「やだよ。なくていいなんて、やだよ」
「誕生日なんてないし、本当にはいないんだから、いいんだよ。身体だって俺にはない。那月の中にある意識だけが俺なんだから」
「意識だけだって、砂月は此処にいるよ。さっき俺の口をおさえたのは那月の手だけど、おさえようとしたのは間違いなく砂月でしょ」
 触れられなくたって、いる。間違いなく俺は、砂月が好きだから。俺は馬鹿で単純だけど、だからこそ間違っていないと音也は思う。
「俺はお祝いしたいよ。誕生日じゃなくてもいつだって、砂月が此処にいてくれることをお祝いしたいよ!」
 とうとう音也の瞳からはもっと大きな雫が浮かんで零れ落ちてしまう。
 ああもう、本当にうるさい。他のやつらが起きてしまったらどうするんだと砂月は音也の頭をかき抱いた。
 いつだって、ないって言うなら毎日だって、お祝いしたい。俺は砂月がいてくれて嬉しい。くぐもりながら聞こえた声に砂月は一度だけ天を扇いで嘆息する。そして腕の中の橙の髪にくちづけるようにして囁いた。よく聞け、音也。
「那月の悲しみも苦しみも痛みも引き受けてきた、それだけのためにいた俺の代わりに、お前みたいな馬鹿がそんな風に泣いてくれる。だから、なくていいって言ったんだ。俺は充分に与えられている」
「さ、さつきぃ……っ!」
 腕の中でじたばたともがいた後、力一杯抱きついてくるから引き離そうかと一瞬だけ迷って、そのまま頭に手のひらを置いて言った。
「ああもう、だから静かにしろって、ばーか」

 お前みたいな馬鹿は一人で充分で、だから、なにもいらないんだ。





(120610)