「ははーん、つまり記憶喪失ってやつだな、ゆりっぺ!」
 野田の言葉に頷いて、我らが戦線のリーダーは厳かに言い放った。
「天井に頭ぶつけ過ぎて、日向君がますますアホになったわ!」
 アホはお前らだ。天井に頭ぶつけ過ぎたのはお前が日向の椅子を垂直噴射しまくったからだろう!




認めやしない初対面




 日向が記憶喪失になった。
 もちろん原因はテストの時のあれだ。錐揉み、回転、エトセトラ、あらゆるバリエーションを披露し、繰り返された衝撃は、元々容量の少ない日向の頭を確実に破壊していた。
 記憶喪失と言っても一部分のみで、日向は自分が何者なのかも戦線のことも周囲にいるのが誰なのかも、問題なく覚えていた。日向は俺のことだけを忘れていた。つまり、日向の記憶は俺が来る前に戻ってしまったのだった。

 他の皆と普段通りに笑いはしゃぐ日向に、お前は一体誰なんだと怪訝な目を向けられて俺は目の前が真っ白になったような気がした。
「どうするんだよ!?」
 思わず取り乱した俺に、その元凶は信じられないことを言い放つ。問題ないわ。
「あんたのことを忘れただけ。日向君だけあんたが来る前に戻ったと思えば良いのよ。例えばオペレーション・トルネードを発動すれば彼は普段通りに陽動開始まで天使の足止めをきちんとしてくれる。我が戦線への影響はゼロよ」
「な……っ」
「そもそも記憶がないのはあんたの十八番でしょ。日向君がちょっと忘れちゃったくらいで騒ぎすぎなのよ」
 見下すように言われ、作戦会議を始めるから日向を呼んでこいと追い出された。ついでに初めましての挨拶もすれば良いと。
 良いわけあるか。初めましてなわけあるか。
 日向は多分、このわけの分からない世界で一番俺に優しくしてくれた奴だ。お節介というか親切というか、もしかしてホモなのかと疑うほどに良い奴だ。その日向と初めましてなんて、そんなわけあるか。



 * * *



 屋上に繋がる扉を開けば見慣れた群青の髪が風に揺れていて、空に溶けそうだった。日向、お前はここに来てからの記憶しかない俺の全てを忘れたのか。
 俺は覚えている。天使に刺されて天使を撃って、それが嘘みたいなほど呑気に屋上でバカやって、野田に殴られて、日向と肉うどんの肉を取り合って、騒いだ。
 俺の気配に気付いた日向が振り返る。
「あ、呼びに来てくれたのか。えっと、オトナシ、だっけ?」
 そんな風に言うから、知らないように聞くから、かっとなった俺は気付いた時には勝手に身体が動いていた。
「日向てめぇっ、俺のこと、思い出せよ!」
「なに、言って……?」
 がしゃん、と屋上のフェンスが耳障りな音を立てたのを、どこか遠くの出来事のように感じながら俺は力任せに日向を押し倒していた。
 俺は勝手だ。記憶喪失の人間が記憶を取り戻した時、記憶がない間のことは忘れてしまうことが多いらしい。ここに来るまでの記憶がない俺が、いつか全てを思い出したらここでのことを忘れるかもしれないのに、俺は願ってしまう。忘れてほしくない。俺は、日向にも日向の記憶にも消えてほしくない! 忘れられたくない!
 胸倉を掴んで何度も何度も揺さぶって、思い出せよと繰り返すうちに視界が歪んだ。ああ、俺は今、泣いている。日向に忘れられて、泣いている。
 夢中で泣き叫ぶ俺の下で、されるがままだった日向が不意に身じろぎ暴れ出した。
「痛い痛い痛い痛い! いったいなーっ! なんだよお前、そんな必死な顔して、って泣いちゃってるじゃん。もしかしてお前……コレなのか?」
 怪訝な顔で右手の甲を左頬に持って行き、首を傾げてするいつものポーズ。俺が日向にしていた、いつもの。
「お、お前……っ、俺のこと思い出したのか?」
「は? お前のこと? 音無だろ。いだだだだだっ!? 重い痛い! 抱き締めるな! 背骨も頭も折れるって!」
 ああ、このアホな発言。日向だ。まさしく俺の知っている、俺のことを知っている日向だ。

 もうこの際コレでもアレでもホモでも良い。神様! もしいるのなら、感謝する!





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