――ディエゴ? あー…あいつね。禁書をさ、手に入れて読んでるって噂もあるんだよ。だからあいつ嫌いなんだ。あの悪ぶってるカンジ?
 ジョニィ・ジョースターが友人達と話しているのを耳にした。ディエゴはふんと鼻を鳴らしただけで意に介することはない。悪ぶっているつもりはないが、禁書は確かにこの手にある。




オールド・アンド・グッド・デイズ







 漫画という表現が禁じられてからどれだけの歳月が流れたのか、ディエゴには実感がない。数値では時間を感じることが出来ない。
 確かにもう必要のないものだということは分かる。全ての表現は写真よりも精密に、コンサートホールで聞くオーケストラよりも壮大に響き、動画よりも臨場感があり、香りも、空気の震えも伝えられるようになっているのだから。クリエイター達のありとあらゆる表現は全て誤差もコンマ以下のレベルで再現され、消費者へと与えられる。
 かつてのクリエイター達は試行錯誤を繰り返しながら表現の方法を模索していた。作家は自らの手で紙の上にインクを走らせて、情景を描く。言葉は吹き出しとして、音は文字として、光も速度も衝撃も、インクの濃淡で表現する。消費者もまた自らの手でページをめくり、物語を先へと進める。
 信じられないが昔はそうだったのだとディエゴは手の中の一冊を見た。
 今はもう骨董品だ。触れただけでぽろぽろとこぼれ落ちてもおかしくないような骨董品。最新の技術で経年劣化を食い止めている。
 禁書だ。あらゆるデータは脳というデバイスにダイレクトにインストールすれば良いこの時代において、紙などというアナログなやり方は環境保護の観点からも禁じられている。この物語も過渡期には電子書籍へと姿を変えたこともあったらしいが、今はそれすらもない。表現を二次元に収めてしまう媒体など不必要だとされてしまったから。
 さっき、唾棄するようにディエゴのことを言っていたジョニィは何も知らない。同じ名を持つ青年を主人公にしたこの物語のことを。禁書になど触れようともしないから。ディエゴだけが物語を理解する。

 いちまい、いちまい。己の指でページをめくる。遙か昔の人々のように。過剰なまでの音の文字、異様なまでに表現される表情、しなやかにして遙か昔の芸術品のような肉体、唐突でありながら胸を打つ感情の言葉。その全てが紙の上に表現されている。
 紙に乗ったインクでしかないのに、言葉も音も文字として表現し、同時にあらゆる感情を追体験させる。たった数冊に収められた物語が、しかし長い長い時間の流れの始まりを感じさせる。
 ディエゴは偶然この本を手に入れた。なんて前時代的で合理的ではない媒体なのだろうと思いながら読み始めた自らと同じ姓を持つ男が、かの主人公と宿命のように始めた冒険。
 今はもう存在しない表現で描かれた、翡翠の瞳の主人公にひどく惹かれた。
 ページをめくる指先が世界の時間を進め、間違いなく手の中に在る。しかしこれは、ここにはない物語だ。

 ディエゴだけが物語を理解するが、しかし彼も知ることはない。禁書とされた表現の中の物語世界、その隣の世界に自分達が生きていることを。





(130927)
メタなSFっぽい話を目指してたはずなのですが、気がつけば「ディエゴ、ジョナサン推しのジョジョラーになる の巻」になってました(身も蓋もない)