僕には義理の弟がいる。母方の、遠い親戚にあたる彼を僕の両親が引き取ったのだ。 彼と初めて会った時にはこんな美しい少年が存在することに驚いた。さらさらと音を奏でて揺れそうな細い髪、通った鼻筋に意思の強さをうかがわせるつり目がちの瞳。瞳の色素が薄く、陽の光の下では黄金色にすら見えた。こんな子が僕の弟になるなんて信じられない。そう思った。 美しすぎて、そして親戚としては遠縁すぎて――だって家系図の大きな紙を広げて見ても僕と彼の名前の書かれた場所はあまりにも遠かった――、本当に親戚なのだろうかと最初は思うくらいだった。 What is the life コピーセンターで途方に暮れながら僕は自分を呪っていた。 朝までかかって仕上げたレポートのデータ。出力は大学でしようと保存したUSBメモリは恐らくPCに刺さったまま家でおとなしく待っている。 いつも差し込むドライブの調子が悪かった。午後の提出期限に間に合えば良いから昼休みに出力すれば大丈夫とプリントアウトしなかった。仕上がったことに満足してそのまま机に突っ伏したまま眠ってしまい、朝はばたばたと家を出てしまった。昼休みまでUSBを忘れたことに気付かなかった。USBを取りに戻っても、家から大学まで往復していたら間に合わない。 まったくこの全てが僕のだめなところだ。 「このマヌケが」 「うん、そうだよね。マヌケとしか言いようが……ディオ!?」 俯いて半分泣きそうになっていたところにかけられたのは、ここにいるはずのない、義弟の低い声だった。 「ジョジョ、お前が今いちばん欲しいものを持ってきてやったぞ」 「ま、まさか…」 「朝方までカチャカチャとやかましくキーボードを叩いていたかと思ったら、机で馬鹿みたいに寝こけて、大騒ぎしながら出掛けたお前のPCに刺さっていたこれだ」 ディオの長い指がまるで手品のようにゆらゆら動いたかと思えば見慣れた紺色のUSBが僕の眼前に差し出された。 「ああっ、あっ、ありがとうッ! すぐ印刷する!」 「このディオが届けてやったんだ。せいぜい必死こいて印刷するが良い」 一枚一枚、プリンタから吐き出されるレポートを見守りながら僕は聞く。 「でもディオ、なんで? 学校はどうしたんだい?」 「うちの高校は創立記念日で休みだ。だからお前の講義が終わったら買い物に行く予定だったはずだがなあ」 「あっ」 「マヌケが」 まったくもってその通りだった。レポートの提出期限に気を取られて、僕は弟との約束をうっかり忘れていたのだ。 わざわざ嫌味ったらしく言っているけれど、ディオはかなり拗ねている。 「ごめん! 提出したらすぐ行こう! 新しいシャツ買いに行くんだったよね!」 「ふん。さっさと済ませるんだな」 待っていてねと駆け出し、教授室の扉を叩いたのが期限の十分前。ぎりぎりだねと笑われて、よろしくお願いしますと託して部屋を出たのが期限の三分前。そしてコピーセンターに舞い戻った時にはディオは人だかりの中心にいた。 なぜなら彼はあまりに美しいのだ。黙っていても、ただそこにいるだけで人の視線を集めてしまう。 「高校生ー? かわいー」 「確か、ジョナサンの弟じゃなかった?」 まずい、と思った。ディオは僕には辛辣極まりない態度を取るけれど、基本的には神の使いか悪魔の手先かというほど人を魅了する完璧な振る舞いをする。それなのに僕との繋がりについてだけはどのような意味合いでも他人に言われることを嫌う。 「えー似てなーい」 「ジョナサンと違って、髪も綺麗な金色だもん全然似てないね」 ああまずい。ここから声をかけてディオは止まるだろうか。きっと無理だ。きっと怒り出す。 「……ない」 「え?」 「弟なんかじゃあないッ!」 「ディオ!」 本来は、似ていないと言われて怒るのは筋違いなのだ。彼は自らそうあろうとしているのに。 「ジョジョ……」 しまったとでも言うように唇を噛んだディオは背中を向けて駆け出した。ごめんねと皆に手を合わせ、僕は慌ててディオの後を追う。 家系図に書かれた僕と彼の名前を指で押さえて、上へ上へと辿っていくと、途切れることなく収斂する。どんなに遠く、枝分かれしていても僕らのご先祖様は一緒だ。 だけど、そういう名前だとか、書類上の話だけじゃない。もっと分かりやすく、不思議な証を僕らは持っている。 僕の首の付け根には星形の痣がある。ご先祖様から続く、血脈の証だ。僕のものより薄いけれど、彼にもある。 ディオにはそれが気に入らない。僕の弟であることも、たとえ薄くても僕らに同じ血が流れていることも。 ディオは口が悪くて憎まれ口ばかり叩くし、僕も負けず嫌いなところがあるからささいな諍いは日常茶飯事だったけれど、一度だけ、自分でも驚くほどひどい喧嘩をしたことがある。あれは僕が高校三年の時、ディオは一年だった。 僕らはお互いに泣くまで殴るのをやめなかった。 他人でいたかった。会いたくなかった。お前となんか。お前のことなんか。 そう言って先に泣き出したのはディオだった。 さっき褒められていた金髪。本当は僕と同じ、だけど僕よりも綺麗な黒髪なのに、高校の入学式の前日に染めてしまって、以来ディオは今日までずっと金髪を維持している。 たとえ同じ黒髪であろうと元々似ているわけがないのに、そこまでして彼は僕と似ていたくないし兄弟でなんていたくないようなのだ。 「ディオ! 止まるんだディオ」 「いやだね」 「あんな風にいきなり大きな声を出すのは良くないよ」 仮にも学校の施設内なんだから。僕の言葉にディオは片眉を上げた。 「盛りのついた猫のような甲高い声で喋るバカ女とそれに輪をかけて知能レベルの低そうな男どものいる学校でか」 「わざわざそういう言い方選ばなくてもさぁ…」 どうしてディオが僕との関係に拘泥するのかは分からない。わざわざ僕の忘れ物を届けにきてくれて、買い物に行く約束だってする。まるで兄弟、友達、とにかく仲が良いように。だけど嘘のように僕への態度は悪辣。兄弟でないと言い張るのに他人から似てないと言われたら怒る。彼は矛盾している。 だけどあの日以来、僕は彼の矛盾を怒ることが出来なくなった。泣きはらした彼の瞳が光の加減か紅く、美しいのに悲しく見えたから。何か計り知れない理由があるのかもしれないと思ってしまったから。 いつのまにか早足になっていた僕らは速度を緩めることなくディオの好きなブランドの入ったショッピングモールに向かっている。 「ねぇ、ディオ」 「なんだマヌケ」 「USB、ありがとう」 「ふん」 「お礼にさ、シャツ、買ってあげるよ。バイト代が入ったんだ」 お兄さんぶらせてよ、なんて言えば烈火のごとく怒るだろうから言わないけれど。お礼くらいさせてほしい。 「ほう、お前はこのディオが店で一番高いシャツを選んでも絶対に買うんだな」 「う……それはちょっと検討させてもらいたいところだけど」 ディオの雪のように透き通った肌は、顔色というものを知らない。何があっても涼しい顔をしている節がある。 ほんの少しだけ彼よりも僕のほうが身長が高い。だから僕は後ろからディオの襟足をうかがい見る。いつもは気付かないほど薄い星形の痣が今は僕のものと同じくらい赤くなっている。 少しだけ緩んだ速度はディオの答えで、追い付いた僕は並んで歩く。 ディオは嬉しい時、紅潮することのない頬の代わりに首の痣の色が濃くなる。 これは君の知らない、僕だけの君の秘密だ。 ▲ (130629)
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