「好きだよ。世界で一番。きっとキミを何より優先できる」
「飽きもせず、臆面もなく、よくもまあ」
 あきれたように言うけれど、否定することはない。拒絶も逃避もしない。それは俺と彼が友達で、彼が俺に優しくて、そしてどうでもいいからだ。
「だけど俺はキミが欲しいわけじゃない。俺じゃない誰かと幸せになれるなら構わない」
 出来たら結婚式には呼んでくれると嬉しいし、子供が生まれたらお祝いだってさせてほしい。俺はきっと素敵な、“とおるおじちゃん”になるよ。
「及川は、そこが変わってるよな」
 だけどこれは間違いのない本心なのだ。俺は愛を剥き出しにする。開けっぴろげの、馬鹿のような好意を何ひとつ偽ることなく明かして向ける。
「だって俺は、キミのことが好きなんだよ、黒尾くん。ひとめぼれだよ。運命だね」
 ずっと探していたんだ。キミみたいな人を。俺は永遠にだってキミを好きでいられる。
「男に、お前が好きだなんて普通はそんなに開けっぴろげに言わないもんだろ」
「そうだね。引かないし気持ち悪がらないし、黒尾くんは本当に優しい」
 馬鹿みたいに明かして晒して、それをあきれたように笑う。許されていることに俺は感謝して、それだけで俺は充分だ。

 本当に秘密にしたいことがある時、他の秘密を明かして、目をそらさせればいい。
 だってキミが好きだから。だって俺ではキミのことを。




麗しのリヴィングデッド




 俺はいつも十三歳までは人間だった。

 「ななつまでは神のうち」という。医療が今ほどに発達していなかった時代、子供は容易く死んでしまった。神様の元へ帰ったのだと、悲しさを受け入れる物語の為の伝承。
 その頃だって俺は知っている。俺とよく似た可愛い顔の妹は七歳を越えて生き延びた。奉公にやられた先でうまく玉の輿に乗っていた。あれは一番上の兄貴が神隠しにあったまま帰ってこなかったような時代だ。弟は生まれる前に死んだ。どちらも神の元へ戻ったのだろう。
 十三歳で俺は人間でなくなる。十三回目の誕生日、そこがゴルゴダの丘の頂になる。死のない世界。俺は死んで、そのまま、死に続けながら生き続ける。
 始まりがいつからなのかは知らない。たぶん千年くらい前だろう。だって十三歳までは普通の人間の子供なのだ。十三年を過ごした瞬間、俺は全部を思い出して、何百もの人生と記憶を取り戻す。そして脳が焼き切れる音を聞く。

 一度死ぬ、というのはまったく具体的なことではない。事故に遭うわけでもないし病気になるわけでもない。
 自分が人間でなくなってしまったという事実を膨大な記憶によって理解させられるだけだ。
 たとえば俺は、人間や動物のように排泄する必要がない。食べた物はそのまま身のうちからどこかへ消える。強引に嘔吐してみたことがあるが口から零れたのは灰だった。俺の内臓は砂袋のようなものだ。
 つまり、食べることも本当は必要ない。灰に変わるだけなのだから。
 眠らなくても大丈夫なのだけれど、一応の疲労感はあるし、味覚もある。だから人間の振りをすることはそんなに難しくない。
 難しくはないが気をつけなければならない。それなりのタイミングで俺は眠り、不自然でないように席を立ち、限りなく人間に近いのに、だからこそボロが出ないように。
 眠らなくても食べなくても死なないけれど、死なない、と言い切るのは少し語弊がある。実際にはひどい外傷で肉体は死ぬ。
 車に牽かれれば死ぬし、馬から落ちて死んだこともあるし、災害や戦争に巻き込まれて死ぬこともある。
 肉体はある一定までで成長を止める。いつも二十代の後半だった。いつまでも若いねと見られるギリギリまではひとところで暮らし、あとは姿を消すしかない。
 自分で自分を傷つけることは出来ない。だから自殺することはない。何百の俺の記憶がそれを許さない。
 俺は、何らかの外的要因に殺されるまで生き続ける。

 今度の時代は平和だ。刺客に襲われることも餓えに喘ぐ人々を見ることもない。バレーは楽しい。
 試合前、俺の言葉でチームの空気は変わる。俺が王様のようなのはもっと前の俺の所為。何百年か前、ここではない国で本当に指導者だった。
 お母ちゃんと思わず出てしまったのは前の俺の所為。確かあれは昭和の始めだった。今で言うならいわゆる肝っ玉母ちゃんの子だったから。
 前の俺は短かった。七つまでを生き延びて、戦争も越えたけれど闇市の帰りにゴロツキに絡まれて後ろから刺されて死んだ。
 今度の俺は本当に平和だ。バレーを知り、平和で、楽しい。そして俺は恋をした。
 俺のような存在にもし運命なんてものがあるのなら、この恋心を抱けたことこそが、運命だと思いたい。



 何百もの人生を生きてきて、考えてみればこんなにきちんとスポーツと向き合う人生というのは初めてかもしれない。前の俺が十五、六の頃は言うまでもなく部活なんてものをする余裕はなかったし、今までもそうだ。
 十三歳までの人間としての暮らしは蓄積し、人間でなくなってからも影響を与える。この膝がいい例だ。
 バレーは楽しい。人間でなくても人間と変わらない身体能力しかない俺は、皆と同じように、いやそれ以上に練習したし、まだ十代である肉体は練習しただけの成長を果たした。
 ゲームメイクが得意なのは当たり前。チームメイトへの絶対の信頼もチームメイトからの信用も間違いない。何百年も前からそれは俺に備わっている。
 だけど俺は知った。三人の恐ろしい存在を知ってしまった。
 決して俺ではない天才たちと俺ではない化け物。

 天才の一人は同い年。全てを凌駕するかのように超然と佇む、強大な力。
「いやぁ、まさに超人的だね、ウシワカちゃん」
 この呼び方を良しとしない牛島はその黒い瞳の色を一層濃くして俺を見る。人間なのに、恐ろしい。あれこそが天才なのかと思った。
 二人目の天才は後輩だった。コートの上の幼い王様。
 俺がもし事故にも遭わずこのまま生き続け、何百年とバレーに費やしたとしても到達できない領域。そこにやすやすと足をかけ、それでもなおまだ高みを目指すことの出来る、努力できる才能。
「お前は本当にムカつくガキだねぇ」
 トビオちゃん、と俺は笑う。たったの数年、たったの数百日、それだけで俺は先輩で、しかし俺は優秀ではあれ、あの雛鳥と並び立つことは出来ない。
 あれらは天才だ。神から与えられる才能というギフトを十全に受け止め、受け入れ、まだ研鑽することの出来る、努力する才能さえ持っている。
 人間なのに。人間のくせに。
 だから俺は天才どもがムカつく。人間でいられるくせに。



 だけど三人目は天才ではない。なによりも人間だ。しかし俺はあれを初めて見た時には化け物だと思った。
 人間なのに。諦めて、諦め続けて、諦めてしまっているのに微塵も心折れていない。全てを飲み込んで、その身の内で飼い殺してそれでも人間でいる。ああそうだ、悪魔喰いのようだと思ったんだった。

 彼と出会ったのは二年の秋だった。高校バレーの練習試合が入場無料の体育館で行われると知り、俺は遠足での自由行動に見学を組み込んだ。
 仰々しくも城を冠するだけあって、その名に恥じずうちの高校はなかなかに派手な行事が多かった。遠足だって例外ではなく、東京での一泊二日。修学旅行でも部活の遠征でもなく、ただの校外学習で一泊二日。そう、正しくは校外学習なのだけれど、かわいい女の子達にならって俺も遠足と呼んでいた。
 ついでに言うと中身も他の学校からすれば異色だったろう。現地集合、範囲はあるものの自由行動、最後も現地解散である。なんだそれ、と一年の秋に近場で同じような遠足が行われた時には呟いてしまったものだ。

 その男、黒尾鉄朗はただごく普通にバレーをしていた。赤を基調にしたユニフォームに、サポーターは着けず、やわらかなバネで跳ぶ。
「あれは…まだ二年か」
 観客席から見下ろせば、他にも光る選手はいた。
 赤い彼はごく普通の、だけどまだ上がいるからだろうか、少しだけ窮屈そうなバレーをしていた。
 そう、普通だった。練習の日々とバレーを好きだという気持ちは伝わってくるけれど、中学でトビオちゃんという天才を既に目の当たりにしてしまった俺からすれば、俺と同等か少し劣るくらいの凡庸さ。
 俺達が全国に行った時に戦う奴もいるかなぁと隣の岩ちゃんに聞けば真面目な彼はそうだなとだけ返してじっとコートを見ていた。
 まだ夏の名残のある公立の体育館の空調はぬるい空気をかき回すばかりで蒸し暑く、背中にシャツが不快に張り付いていたのに、瞬間、俺はぞわりと背筋が粟立ったのを感じた。おいおい怪談には遅いんじゃないかと首を傾げ、寒気の理由を探る。まるで亡霊でも見てしまったのか、違う、これはまるで自分の幽霊でも見てしまったような怖気。
 試合を終えて赤いユニフォームがコートを去る。体育館を出る一瞬、彼は振り向いてコートを見た。先程までの熱気の所為で揺らいで見えるネット。

「ねぇ、岩ちゃん」
 彼らが消えていった扉を見たままで俺は隣の幼なじみの袖を掴んだ。訝しげに、暑苦しいなと言ったのを俺は無視する。
「俺さ、東京の大学に行くよ」
 あきれたような岩ちゃんはきっと俺のいつもの気まぐれ程度に受け止めただろう。だけど俺は本気だ。
 このまま高校を卒業して、地元で進学も就職もするつもりだった。今回の人生は平和だから、だからこそ冒険は必要ない。穏やかにバレーを好きだった人生を過ごし、それなりに死なない限り生き続ければ良いと思っていたけれど。
 俺はあの黒い瞳を見てしまった。
 俺と同じ瞳。だけど俺とは違う。天才どもを知り、己の力量に打ちのめされ、それでも好きを諦められない可哀想な人間。
 人間でいられる彼を見ていたい、そう思ってしまった。


* * *


「高二の秋にひとめぼれをしたんだよ」
「んなわけないだろ。お前、高校は宮城じゃん」
「練習試合を、見たんだよ」
 あれで俺は大学を東京に決めた。流石に黒尾くんの進路までは分からなかったけれど、上京すればちょっとでも近づける。まさか同じ大学だなんて思ってもみなかったけれど。運命的だよね。
 友達になれて、俺がキミを好きだと言ってもちっとも拒絶しない。やっぱり今回の俺の人生は平和だ。俺は死なない化け物だけど、それ以外は最高についてる。
「俺はキミのことが世界で一番好きで、誰よりも幸せになってもらいたい」
「ほんっとに、開けっぴろげで、ちょっと心配になるな」
 困ったように笑うから、俺は満面の笑みで返す。
「だって間違いなく、黒尾くんが好きだから。もちろん拒絶されて友達やめられたらへこんじゃうだろうけど、それでも俺はキミが好きだよ」



 俺は最近、夢を見る。夢の役割は記憶の整理だという。だから俺は見た夢をあまり覚えていなかった。だって量が膨大すぎる。一度焼き切れた脳は断片的に存在する全ての人生を整理しようとしてパンクしてしまうのだろう。
 その俺がまともな夢を見るようになったのだ。
 黒尾くん、俺のような化け物に似た人間。キミと友達になれて良かった。たとえば俺は夢を見る。キミは幸せな結婚する。俺は大学の同級生と余興をしよう。挨拶はあの小柄な幼なじみクンがするんだ。そして子供が生まれたら、パパに似なくて良かったねと可愛い娘ちゃんに言ってやるんだ。娘ちゃんの初恋はこの俺かもしれない。息子クンなら一緒にバレーをしよう。それから少ししたら俺は姿をくらますけれど、どこかでキミが死んだ後も子供や孫を見守り続けるんだ。
 本当に秘密にしたいことがある時、他の秘密を明かして、目をそらさせればいい。たとえば俺が人間じゃないということだとか。
 どんなに好きだと叫び続けても、俺に許される最大の幸福はキミの人生を見守ることだけだ。だってキミと同じ時間を生きられない。

 俺はただ、死なないというだけで、それ以外は幸福な化け物だ。永遠にだってキミを好きでいられる。嘘じゃない。

 永遠に、夢のような、夢を見る。





(150522)
三大欲求を満たす必要のないゾンビがただ幸福だけを食べて長い時間を生きるのが好きです、というハナシ。