黒尾鉄朗も年相応にしてごく一般的な男子高校生であるわけだし、それなりの性欲をもて余すことはある。流石に高三にもなって覚えたての猿でもあるまいし、毎日毎日何時間も自慰に耽るなんてことはないけれども。
 疲れや、休みのタイミングやその他もろもろ、どうにか発散したくなるタイミングというものは自分で分かっているつもりだ。
 だから、いつもの行為。当たり前にこなす、まるで単純な行い。そのはずだった。
「……っく、そ…、イケ、ね……っ」
 それなのに、まったく達することが出来ない。
 ベッドの下に秘蔵している使い古した雑誌も写真集も、携帯で見た、使える筈の動画の履歴も駄目だった。
 部屋を見回しても、もう打つ手がない。中途半端に高めてしまった自身をなんとか収めたい。半ば意地にも似た気持ちでもう一度部屋を見回した。なにか、なにか、頭を空っぽに出来そうな、そんな存在。
 ふと目を止めたのはスポーツバッグの中。少しだけ覗くタオルはあの日、第三体育館で使っていたものだ。
 母親が洗濯し、黒尾の部屋の片隅に置いておいたもの。
(あの、時……)
 量販店でまとめ買いした、特別なところなどひとつもない、あの日使っていたタオルが見えただけだった。




そうやって一人よがり




 黒尾さんと自分を呼ぶ声は、すべて思い出せる程度の回数しかない。呼び掛けた時に。話題の端に出た時に。ふざけた態度を見せた自分達に、呆れたように呟かれた時に。
 珍しい名前ではない。珍しい音でもない。ひとつ上の他校の先輩。それだけのさん付け。
 優しくもなければ甘くもなく、そんな意図や意味など持ち得ないで自分を呼ぶ声を黒尾は思い出せる。
 誰も触れてはならないネット。それを隔てて対峙すれば静かな黒い瞳は世界を俯瞰する。
 味方も敵もボールの動きも、揺れるネットも、遠い上空から一点を狙って飛び込む為の静寂をたたえるように光っていた。
 バレーの最高に気持ちが良い瞬間を知っている。ボールをひたすらに繋いで、もがいて、エースへと繋げる。どんなに滑稽な姿を晒しても構わない。高く高く飛び、相手のコートにボールを叩き込む背中を見る。あの瞬間。
 適当にチームを組んでポジションも無茶苦茶にしてゲームをした。相手校として対峙したことしかなかった赤葦を初めて前に据えた。常ならば見えることのない、味方にしか見せない表情を、くちびるが薄く綻ぶのを見てしまった。赤葦はバレーの楽しさを知ってしまっている、俺と同じだとあの時に黒尾は確信した。

 あの日のタオルが目の端に止まった。たったそれだけなのに、思い出してしまった。思い返してしまった。駄目だ、と思った。人が言うようにもしも自分が黒猫ならば尻尾の先から耳の端までぞわりと毛を逆立てたのが見てとれただろう。
 嘘だ。駄目だ。こんなことに。思い浮かべては、思い返してはいけない。些細でありきたりな日常でしかない様子を今、脳裏に浮かべてはならない。それなのに指の動きは止まらない。
 雑誌だって良い、なんだって構わない。他の、他の何かを理由にしなくては、そう思うのに閉じた瞳には赤葦の形の良い頭や小さく肩を竦める様子が浮かぶ。
 赤葦が繋げるボールは光の線だ。指先からまっすぐに放たれ、エースを目指す。時に辛辣で厳しくも見える赤葦そのもののような軌跡を描く。
 光に似ている。それが浮かんだ。
「……ぁ、…し……ッ」
 達する瞬間、息を詰めて唇を噛んだ。呼んではいけない。口にしてはいけない。どんなに無様な喘ぎを漏らしたとしても、それだけが自分の最後の矜持だ。
 同じチームでなくて良かった。もしも毎日あの目で射抜かれたらきっと泣きながら許しを請わなければならなかっただろう。

 汚れたてのひらを見る。何をやっているんだろうか。
「矜持もクソもねぇよ……馬鹿野郎が」
 自分を罵倒しながら、のろのろとティッシュペーパーを取る。それは吐き出したものを吸って重さを増した。





(150418)
(BGM:鴉/愛の歌)