たとえばひとつ指を鳴らすだけでなにもない空間から一輪の花を取り出してみせたり、指先で星のようにきらめくラインを描き出したり、それを現実に行ってみせたらそれは手品か、種も仕掛けもないのなら魔法なのかといったところだけれど、この空間においてはそんなことは当たり前に出来ることでしかない。 スペクトルの花束 「お邪魔します」 いつものようにマフラーの下でもごもごと言う月島を迎え入れながらほんの少しの違和感に首を傾げる。 いそいそと肩掛け鞄から取り出したお馴染みの丸いクッション。その隣に膝を抱えて座った月島はマフラーの巻き方を変えていた。普段は緩く後ろに垂らしているそれを、今日は首に巻き付けて最後に後ろでくくっている。いかんせん元の長さが長いので苦しそうだった。 マフラーをはずさないのはいつものことだしマフラーは彼のトレードマークのひとつだから問題はない。しかし、そんなに苦しいのなら巻き方を戻せば良いのに。そう思ってからふと、出来るだけ小さくあろうと丸めた背中を見て言ってみる。 「……月島、お前なにか変だな」 怯えたように肩が上がった。さらに身体を小さく折り曲げようとするその腕を取って立ち上がらせる。 「ろっぴ、なにす……?」 「立ってみろ」 「ちょ、やだ、もう靴脱いじゃって」 「いいから」 強引に向かい合わせてみてもぐるぐると巻き付けたマフラーに顔を埋め猫背を更に丸めて目を逸らす。 「気をつけっ!」 「はっ、い!」 俺の言葉で反射的に背筋を伸ばした月島を見上げて納得する。 「身長伸びたんだろ」 「う……」 猫背の所為で目立たないが、月島は上背がある。猫背の状態で並んで立ってあまり変わらないわけだから、ぴんと背筋を伸ばせばその分俺よりも身長は高い。 「それでマフラーの巻き方も?」 「し、視覚的効果で、マフラーだけでも縦長じゃなくなったらって。これ以上身長が伸びて、でかくなっちゃって、そもそも男だし、こんな頼りないわりに無駄にでかくなっちゃったら、俺もう、うわあって」 そこまで言ったところでとうとうしゃがみこんで頭を抱えてしまった。俺は晒された後頭部と隠された首筋に手を伸ばす。マフラーの結び目を解いて強引に引っ張り上げれば月島は自然、膝をついて俺を見上げる形になる。 「馬鹿にするなよ」 「ひ、ぐ……だ、だって、ろっぴは綺麗でかっこよくて頼りになって凄い俺、ろっぴのこと、す、き、なのに……俺は、」 まだ言い募ろうとする月島の目の前でぱちん、と指を鳴らせば俺の手には花束が出現する。軽くつつけばグラデーションで花びらはその色を変える。 「これを人間がやれば手品だか魔法だ。でもこの電子の花束ならこうしてぽんと生み出せる。そんな風に設定されている。設定されているか否かでしかない」 人間のいる空間、つまり俺達にとってのソトを生み出し、規定したのが神様だとする。人間の言う"信仰"によるところがあるから一概には言えないが、便宜上の呼び名だ。その神様が人間や世界そのものに対して行った設定がある。 人間の身体に薄く傷を付けたらその箇所は再生しようとする。瘡蓋が出来て古い細胞は剥がれ落ちて新しい皮膚が生まれる。でもこれは神様の設定した肉体を持たない俺達には適用されない。俺達のデータが傷ついたらせいぜい復元か、良くてバックアップまかせだ。状態は戻るが再生はされない。これは多分あらゆる存在の設定がそうなんだろう。 人間が生きられないような環境でも生存できるように設定された動物がいる。魚は陸に上がれば呼吸できない。そういう設定、そんな風に最適化されているからだ。 人間が限界として規定されたラインよりも多くテキストを読み込めたり、データを扱えたりすることが出来るのが俺達だ。 存在ごとに出来ないことが出来るし、出来ることが出来ない。 そこまで一息に言った俺は、分厚い眼鏡の奥で大きく目を見開いた月島に噛みつくようにしてもう一度言う。馬鹿にするなよ。 「お前のタイプは身長が伸びるように設定されている。それだけの話だ。見当違いにマフラーぐるぐる巻くような、変なところで真面目で面倒臭いお前みたいなのを、そんな自分より背が高い程度の設定で嫌いになったり今と違う関係になったりするわけがないだろう。馬鹿か」 「ろっ、ぴ」 「猫背を直せとは言わないが、その程度のことを気に病むのはやめるように」 ごめんなさいと言いつつ気が抜けてしまったらしい月島の身体をソファーに戻しながら大型犬を飼う人間は大変だなと思う。 ほどいたマフラーをいつものように身体の横に垂らした月島に、いつも抱えているクッションを渡してやり、俺は自分が読む為の本と月島に貸すつもりで用意している本を取りに行く。 ――ろっぴのこと、す、き、なのに……俺は、 自分の、感情があまり表に出ない設定に少しだけ感謝する。もしもサイケや日々也――あの王子様に関しては自身では隠せているつもりらしいが――ばりに顔に出てしまうような仕様だったらあの瞬間の自分の表情はきっと目も当てられないだろう。 本当は月島のほうが凄い。ぐるぐる余計なことを考えて滅茶苦茶になって口走った結果でも、面と向かって言えてしまう。 感情面における自律性は設定と言うよりもバグらしいから、そこはいわゆる神様の仕業なのかもしれない。 俺はほんの少しだけ早くそのバグを飼い慣らしただけで、いつだってうまく言うことが出来ない。 ▲ (110409)
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